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ラグビー協会のアルバイトをきっかけに 好きな英語とラグビーに関わる通訳、翻訳の世界へ│通訳・翻訳者 藤田ふみ

掲載日:2026年1月15日

~通訳・翻訳者編~
藤田ふみ(ふじた・ふみ) 日本ラグビーフットボール協会 国際室 エグゼクティブ・プロジェクトマネージャー

~通訳・翻訳者編~

藤田ふみ(ふじた・ふみ) 日本ラグビーフットボール協会 国際室 エグゼクティブ・プロジェクトマネージャー

藤田さんがラグビーと出会ったのはいつですか。

青山学院初等部(小学校)に通っていたときです。3年生から部活動が始まるのですが、男の子が入ることができる球技の運動部がラグビー部だけで、同じクラスの男の子もほとんどラグビー部でした。休み時間になると、男の子は校庭でラグビーかドッジボールで遊びます。女の子同士で校庭の隅に腰かけて遊んでいると、ラグビーボールが飛んでくることがよくありました。小学生のコアラーズというチームがあって、みんなで応援にも行きましたね。

藤田さんはどんな部に入っていたのですか。

私はハンドベル部でした。キリスト教の学校だったので、讃美歌を奏でていました。ラグビーをプレーしたことはありません。

どのようにラグビーと仕事が繋がったのですか。

小学校から大学まで青学で学びましたが、のちに日本代表に選ばれる岩渕健輔さん(現・日本ラグビーフットボール協会専務理事)が同級生で、他にも友達の男の子たちがラグビー部でしたから、よく応援に行っていました。
同じ学年の女の子が大学のラグビー部のマネージャーをしていたのですが、その子が秩父宮ラグビー場内にあるラグビー協会によく行っていました。そこで協会の方から、「あなたの大学は協会と近いし、英語ができて、アルバイトをしてくれる学生はいませんか?」と聞かれたそうです。それで、私に声をかけてくれたのがきっかけです。
英文科でしたので、英語を使った仕事に就けたらなと思っていましたし、スポーツも好きだったので、面白そうだと思って働き始めました。大学3年の秋のことです。

英語を仕事にしたいと思ったのは、いつ頃からですか。

中学の英語の先生のことが大好きで、最初は英語の先生になりたいと思っていました。高校に進学して映画が好きになり、洋画をたくさん見ているなかで、字幕翻訳の仕事があると気が付きました。あの時代はほとんど戸田奈津子さんでしたね。そこから翻訳に憧れを抱くようになりました。


英語が好きになったきっかけはあるのですか。

青学の初等部は2年生の頃から英語の授業がありました。中等部(中学生)は外部から受験で入ってくる生徒もいます。学力の高い生徒が多いのですが、英語に関しては初等部から親しんでいる生徒が慣れていて、中学英語の授業が受け入れやすかったのです。私も英語の授業が好きになり、勉強への意欲が湧いたし、映画を見て海外の文化や生活にも憧れました。

好きだったことが、ラグビー協会のアルバイトにつながるのですね。

仕事内容は国際関係でした。当時はまだメールが発達していなくて、海外のラグビー協会との連絡はファックスが主でした。届いたファックスを和訳し、返事を英語で書きました。ビジネスレターは書いたことがなかったので、当時の上司だった徳増浩司さん(国際部長)によく直してもらいました。就職活動は別にしていましたが、ラグビー協会の仕事が面白くなり、就職できないかと考え始め、徳増さんに希望を伝えて採用されたというわけです。

アルバイトの期間に仕事の基礎を覚えたのですね。

採用が決まってからは千駄ヶ谷駅の近くに津田塾大学系列の英語スクールがあり、ビジネスレターの書き方を習いに行きました。

その後、アメリカに行っていますね。

ラグビー協会に3年間勤めた後のことです。私は帰国子女ではなく、読み書きができても、話す自信がなかったのです。それがコンプレックスでした。帰国子女の友人や徳増さんが英語を流暢に話すのを聞きながら、こうなるには海外に行くしかないと思ったのです。ラグビーのこともあってイギリスに行きたかったのですが、私の目的の勉強がしやすい国ということで、アメリカに行きました。

学校に行ったのですか。

私の目的は、仕事で使える英語をブラッシュアップ(磨きをかける)することでした。
アメリカの会社でインターン(実習生)として働き、給料も出るプログラムを運営しているところを見つけて、そのプログラムに参加しました。数か月研修を受け、自分で職場を探すのです。
私は翻訳がしたかったので、ワシントンD.Cにある語学サービスの会社に入りました。通訳、翻訳者のコーディネートや、実際の翻訳、そして語学学校も経営する会社でした。そこで週4日働き、時間があったので朝日新聞社のワシントン支局でもインターンをしました。記事を書くための情報を集めて、抄訳(原文の一部を抜き出して翻訳する)をつけるような仕事です。約1年アメリカにいました。

帰国してラグビー協会に戻ったのですね。

いえ、すぐには戻りませんでした。私は大学卒業後、すぐにラグビー協会で働いたので、一般企業で働いたことがありませんでした。社会人としてきちんとしたマナーを身に着けているのかという不安があり、派遣社員として広告代理店で1年ほど勤め、その間に、日本の翻訳学校にも通いました。

ラグビーの翻訳を仕事にするようになったのはいつですか。

派遣社員としての契約が終わる頃でした。
国内外のラグビーを放送するジェイスポーツから、ワールドラグビー(世界のラグビーを統括する機関)が作っている「トータルラグビー」(ラグビー情報番組)を放送することになったので、台本の翻訳、吹替、のちに、字幕翻訳をやってみないかと声をかけてもらったのです。その後、元の上司だった徳増さんから、時間があれば、ラグビー協会の翻訳も手伝ってほしいと言っていただきました。

その後、国際試合のあとのインタビューの通訳もするようになりますね。

私がラグビー協会を辞めてアメリカに行ったあとに、私がやっていた仕事を引き継いでいた方が、イングランドのラグビー協会に出向することになり、本格的に戻ることになりました。同時期にラグビーワールドカップを日本で開催する招致活動が始まりました。そこから、ラグビーの翻訳、通訳の仕事が増えました。インタビューの通訳をするようになったのは、2007年くらいだったと思います。

    
    

ラグビー選手の通訳をするようになって、感じたことはありますか。

チームを代表してキャプテンが話してくれることが多いのですが、国代表レベルのキャプテンは人格者で、尊敬できるところがあると感じました。
一番印象的なチームは、ウェールズです。2013年に来日したのですが、コーチも選手も丁寧に質問に答えてくれるし、日本遠征を良い経験にしようとする雰囲気が伝わってきました。2019年のラグビーワールドカップ日本大会の時、ウェールズ代表が北九州でキャンプをして、北九州との絆が深まり、交流をするようになりましたが、それが納得できるような温かいチームでした。

キャプテンが人格者と感じるのは、どんな部分ですか。

インタビューのときの丁寧さです。報道陣からの質問には、ひとつの質問に3つくらい聞きたいことが入っていることがありますが、それでも辛抱強く、理解しようとして、「この答えで大丈夫ですか?」と、聞いてくれるようなタイプが多いです。

通訳は、資格を取得する必要はありますか。

観光通訳など資格がある分野もあると思いますが、私のような通訳は試験を受けるような資格はありません。とくにラグビーは、競技を知っていないとできないので、経験がものをいう世界です。通訳の面白さは疑似体験ができることだと思います。その人の経験を言葉で伝えることで、自分も経験した気持ちになります。いろいろな方にも出会うことができます。2019年のラグビーワールカップ日本大会では、首相官邸にも行きましたし、皇族の方々の通訳サポートもしました。

いまの中学生が将来通訳になりたいと思ったら、どんなことをしておけばいいのでしょう。

私は帰国子女ではありませんが、通訳を仕事にしています。海外経験がないとか、英語ができないから無理だと思う人がいるとしたら、けっしてそんなことはないと伝えたいです。
英語の勉強についてですが、一日に2行でも3行でもいいから、英語で日記をつけてみることですね。通訳、翻訳者はいずれ専門性の高いものをやるようになります。私はラグビーだし、医療分野の翻訳もあるし、観光を専門にする通訳もあります。得意分野は後からできるので、日々生活しているものの中で言葉の引き出しを増やすことが大事です。自分が日々思ったことを書くだけで良いのです。アウトプットしないと自分のものになりません。英語は表現の道具です。続けていくと自分の使いやすい道具になっていきます。道具は使わないと錆びるので訓練には日記が一番いいですね。
いまはSNSで海外のラグビー選手のインタビューがたくさん聴けます。自分の好きな選手のインタビューを聞いていれば、この人はこんな言葉使うのだとか感じることがたくさんあると思います。通訳になりたいのであれば、インタビューの動画をたくさん見るのも良いと思いますよ。

ラグビーという競技は、どんなところが面白いと感じていますか。

いろいろな特徴の人がいるということです。ラグビーへのかかわり方はポジションによって違うと思いますが、みんながひとつになって一個のボールを追いかけている。それだけでドラマがありますね。日々の努力がキャプテンシーや人間性に表れていると思います。ワールドラグビーは、「ラグビーはキャラクタービルディング(人格形成)のスポーツだ」と言っています。その通りだと思います。私はラグビーをプレーしたことがありませんが、長くラグビー協会で仕事をしてきて、ラグビーで培われた人間性に何度も助けられています。

具体的にはどんなエピソードがありますか。

私が協会を辞めてアメリカに行くとき、上司は温かく送り出してくれました。3年間育ててもらって、短期間で辞めること申し訳ない気持ちもあったのですが、皆さん温かくて、日本代表のスタッフもすごく気にかけてくださったのです。実はアメリカに行く直前に父が亡くなりました。葬儀には想定していた以上の人が参列してくださいました。ほとんどがラグビー関係者でした。父も私の影響でラグビーが好きだったので、喜んでくれたと思います。いつか必ず恩返ししようと思いました。そういう気持ちになったのは皆さんの温かさがあったからです。

今後、やってみたいことはありますか。

海外から来たチームのサポートはしていきたいし、それがラグビーの面白さを日本の皆さんに知っていただく一助になったら嬉しいです。そう思うようになったのは、2019年の日本大会で日本中を飛び回ったのが大きいですね。大会が盛り上がるにつれて、私もラグビーファンの方から声をかけられるようになりました。会場から帰る電車や、会場に行くバスの中で「通訳さんですよね」と声をかけられ、ホテルの大浴場の脱衣場で「私も通訳になりたくて勉強しています。どうやったらなれるのですか」と質問攻めにあったこともあります。通訳が存在しているから分かったこと、理解できたことが皆さんの中にあったということなのだと体感しました。それは続けて行きたいと思っています。
また、私は日本でのラグビーワールドカップが2019年で最後になるとは思っていませんでした。次も日本に来るように意識して動いていましたし、もし願いが叶ったら、2019年大会よりもっと良い大会になるように、通訳として世界との懸け橋になりたいと思っています。