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The school rugby club coach学校のラグビー部の監督

熊本県玉名市に根差してのラグビー普及 子どもから大人までが楕円球に親しむ環境作り│学校のラグビー部の監督 仲山延男

~学校のラグビー部の監督編~
仲山延男(なかやま・のぶお)熊本県立玉名高等学校・附属中学校 社会科教諭 学校のラグビー部の監督

~学校のラグビー部の監督編~

仲山延男(なかやま・のぶお)熊本県立玉名高等学校・附属中学校 社会科教諭 学校のラグビー部の監督

ラグビーに出会ったのは、いつ頃ですか。

 高校1年生でした。僕が熊本県立玉名高等学校に入学した頃(1982年)は、僕が住んでいた地域の学校にはラグビー部がありませんでした。だから、ラグビーのことは知らなかったのですが、同級生が「ラグビー部を作ろう」と言い出したのです。僕は入学後、サッカー部に入っていたのですが、怪我をして1か月ほど練習できない時期がありました。その時期にラグビー部を作ろうというメンバーと遊んでいて、一緒に始めることになったのです。

顧問はどうやって探したのですか。

 まずは部活動の顧問を担当していない先生を探しました。生物の先生でラグビーに関りがなかったのですが、引き受けてくださいました。次にラグビーを教えてくれる人が地域の中にいないかリサーチしました。すると、近くの小学校に熊本県立濟々黌高等学校から日本体育大学に進学した先生が見つかりました。九州電力の支所にもラグビー経験者がいて、そういう人のところに自転車で行っては、「教えてください」と頼んでいました。自分たちも、ラグビーマガジンを買って「技術をひもとく」という戦術を解説する連載を読んで勉強していました。

すぐにラグビー部は認められたのですか。

 愛好会としてスタートし、2年目に同好会、3年生で正式な部に昇格しました。2年生の終わりの1月の新人戦から公式戦にも出場が認められました。練習試合では、濟々黌に50点差以上つけられるなど、まったく勝てなかったのですが、新人戦の初戦は勝つことができました。高3の時の高校総体では2回勝利してベスト4になりました。

大学でも続けられたのですね。

 福岡教育大学で続けました。教育系の大学に進学したのは、ラグビーを教えたいという気持ちがあったからです。高校でラグビーを始めた頃から、ほとんど自分たちで考えて活動していたので、教えてほしいといつも思っていたからでしょう。

最初に赴任された学校はどこですか。

 熊本市立御幸小学校でした。小学校なのでラグビー部はなかったのですが、近くの熊本市立託麻中学にラグビー部がありました。僕は熊本の教員団のチームでプレーしていたのですが、そこで託麻中学の先生と知り合い、その先生が転勤されることになって、「教えに来てください」と声がかかりました。でも、僕も小学校で野球部の顧問をしていたので行けないでいると、中学3年生のキャプテンから直接電話がかかってきたのです。「教えに来てください」と。それが毎晩、1か月くらいです。いまでも忘れもしない生徒で、のちに彼が通っていた高校が全国大会に初出場したときのメンバーになるのですが、とにかく熱心なのです。僕の行ける日をいくつか伝えているのに、毎晩、電話がかかってくる。僕が定期的に行くようになるまで続きました。彼らの学年は最後まで指導しましたが、新しい先生がいらっしゃったこともあって、その後は教員チームで自分自身のプレーを楽しみました。

現在の県立玉名高校にはいつから勤務されているのですか。

 7年前、玉名高校の附属中学校の勤務になりました。中学、高校と6年間の一貫教育をする学校で、中学も高校も職員室は同じですから母校に帰った感覚でした。残念ながらラグビー部は廃部になっていました。なんとか復活させたくて、1年目から動いたのですが、進学校でもあるので話が進みませんでした。僕はその頃、中学の熊本選抜チームの監督をしていて、部活動はサッカー部の顧問でフル稼働していました。だから、なかなか動けなかったのですが、ラグビー部を復活させたいという思いは副校長には伝わっていて、校長もラグビー部が学校のひとつの魅力になればいいとは考えていたそうです。高校のほうは話が進まなかったのですが、校長が中学にラグビー部を作ってくださって、そこから再スタートすることになりました。

中学のラグビー部を作ったことで、その生徒たちが高校に進学してラグビー部が復活する流れができたのですね。

 そうです。高校にラグビー部がなく、別の部に入った生徒もいますが、3人の生徒がラグビー部ができるなら入りたいと言ってくれて、彼らが高校2年生になった昨年度、同好会としてスタートし、今春、部に昇格しました。

中学、高校でラグビーを続ける環境が整ったのですね。

 いま中学の部活動は地域連携が始まっていますが、僕が現在の学校に赴任して以降は、近くにある玉名市立玉名中学校とも一緒に練習しています。地域移行を先行的に行ってきたわけです。グリーンベルトという菊池川の河川敷のグラウンドがあるのですが、2005年にグリーンベルトラグビースクール(GBRS)を立ち上げていまして、全部をつなぐようにしています。今年になって、グルーンベルトのGBをとって、玉名GBラグビークラブという社会人のクラブも作りました。僕がすべてのカテゴリーに関わって組織を作り、小学校、中学校、高校、社会人のそれぞれの指導者は探し、つなげていこうと思っています。

なぜ、そこまでの情熱を注げるのですか。ラグビーにはどんな魅力がありますか。

 自己犠牲の精神は、よく言われることですが、チームとのつながり、仲間とのつながりですよね。痛い思いをしながらでもボールを生かし、仲間を生かす。他では味わえないことだと思います。僕が中学校の指導をしていて感じた一番の魅力は、運動能力があまり高くない子たちも、まじめに頑張れば必ずやれるということです。1番成長した子は、小学校時代に全く運動経験がなく、入部したとき50mが10秒台、1500mが10分台の子が、50m7秒3、1500m5分15秒になりリザーブでしたが熊本選抜、高校と大学ではキャプテンを務めました。忘れられない生徒の一人です。僕が中学のラグビー部の監督になったころは、他の部を辞めて入部してくる生徒が多かったです。人数が少なかったこともあって、生徒達を大切にできました。生徒たちもラグビーを好きになってくれましたね。スポーツはそのチームの居心地のよさ、チームに対する愛情、競技としての面白さや楽しさを感じないと、なかなか続かないと思います。他の部活では良い思いをできなかった生徒達が、ラグビーをしたら中体連で初代チャンピオンになって九州大会まで行けてみんなから褒めてもらえた。それは嬉しかったと思うのです。遠征にもよく行きました。監督になったばかりの頃、九州で一番強かった福岡の長丘中学に対戦を申し込んだことがあります。当然ながら100点以上取られました。でも、これが九州で一番の強さなのだと体感できました。そして、3年後に優勝することができました。

どうやって、強くしたのですか。

 指導を始めたころは一緒にプレーしてラグビーを楽しみました。僕は展開ラグビーが好きで、ラックからとにかく素早くボールを出すラグビーをしていました。サインプレーなどは選手自身が作っていました。とにかく走りまくり、繋ぎまくるラグビーで1年目で県大会優勝、3年目で九州大会Aパートで優勝し、4年目は優勝できなかったのですが、5年目は3年生が18人いました。良い選手もいたので、なんとしても勝たないといけないと思って、勝つことしか考えない指導をしました。すると、九州の決勝で大敗しました。その時に、「これは俺のせいだ」と気づいたのです。自分たちでやりたいことをやらないとチームは強くならないと痛感し、次の代からは選手の自主性に任せました。その代は九州大会Bパート優勝、次の年から九州大会Aパートで連覇しました。そこからまた九州で優勝できるようになりました。

いま熊本県の中学校のラグビー部はどれくらいあるのですか。

 部活動が9校ほどありますが、全部合同チームを作らないと公式戦に出られません。競技人口はいまピンチです。高校も減っていまして、今年度の花園予選は7校単独で、4校による合同チームが1つあり、全部で8チームです。今年1月の新人戦の単独チームは4校しかありませんでした。どうにかしないといけないと思いますし、僕としては、幼い時からラグビーを好きな子を育てたいと考えています。

指導者としての喜びはどんなときに感じますか。

 指導者としての本当の面白さを感じたのは、2010年にエディージョーンズのコーチングセミナーに参加してからです。その後も可能な限りエディーのコーチングセミナーには参加してきました。最新のコーチング理論、ジャパンをはじめとするナショナルチームのコーチングメゾッドを学び、自分のチームに合うかたちでコーチングすることはそれまで以上に楽しく、充実感が味わえるようになりました。もちろんそれ以前も、毎年、個人もチームも成長していくところを見ることはうれしかったですね。必ず僕の想像を超える子がいますし、チームも急速に伸びる時期があります。これまで運動もしたことがないような子が、ラグビーを通じて成長していく姿を見るのが指導者の喜びですね。

中学の部活の地域連携によって、学校の先生として部活動を見ることを目標にするのは、難しいのでしょうか。

 高校はまだまだ部活が盛んですが、中学の部活は地域クラブに移行していきますので、そういう選択は減るでしょうね。僕の地域は、中学のときの教え子たちが帰ってきて地域の子ども達にラグビーを教えてくれています。そういう気持ちを持った子たちがこれからも地元に帰ってきてラグビーに関わり続けられるためにもを受け入れるためにも、地域のラグビーがどれだけ浸透していくかが大切です。そこに力を尽くしていきたいと思っています。