Rugby football union staffラグビー協会職員
みんなでひとつの試合を作り上げる その達成感、一体感が最高の魅力│公益財団法人日本ラグビーフットボール協会職員・座談会

~ラグビー協会職員編~
永井宏和 テクニカルサービス部門
會田未佳 大会運営部門
眞島健太 広報室
會田未佳 大会運営部門
眞島健太 広報室
それぞれの仕事の役割から聞かせていただけますか。
永井 私はテクニカルサービス部門で働いています。テクニカルサービス部門は主に選手が安全にプレーするために、大会、試合をサポートします。ワールドラグビー(世界のラグビーを統括する機関)の規定を現場で動く医師など専門の先生方とどう運用するかを相談しながら進めています。私はもともとアスレティックトレーナーで、2006年からトップリーグ(現リーグワン)のチームで仕事をしていました。メディカル面でラグビーに関わっていましたので、日本ラグビーフットボール協会(以下、日本協会)にも専門職という形で入りました。いま、同じ部署には8名の仲間がいます。
會田 私は大会運営部門の会場担当です。日本協会が主催する日本代表戦、大学選手権、女子の7人制、15人制などの試合を運営する箱を作る仕事です。入社して2年に満たないので勉強させてもらっている段階ですが、大会運営部門には11名が所属し、
会場運営、チームサービス、競技、総務など担当が分かれています。国際試合になると、1000人規模の関係者がいますので、お弁当や車両の手配などもあり、担当は細分化されていますね。
眞島 私は広報室にいます。広報には現在6名が在籍していているのですが、私には主に2つ役割があります。1つ目は、メディア対応です。代表戦などの試合の開催が決まるとメディアの取材を受け付け、いかによい環境で快適に取材をしていただけるかを念頭に、取材要項、諸注意を作り、試合会場では撮影エリアやインタビュー取材の環境を整えます。2つ目は、代表カテゴリーのチーム広報です。私は女子セブンズを担当し、チームの活動情報を配信したり、時折チームにに帯同して、写真や動画を撮影しSNS等で発信することもあります。
會田 私は大会運営部門の会場担当です。日本協会が主催する日本代表戦、大学選手権、女子の7人制、15人制などの試合を運営する箱を作る仕事です。入社して2年に満たないので勉強させてもらっている段階ですが、大会運営部門には11名が所属し、
会場運営、チームサービス、競技、総務など担当が分かれています。国際試合になると、1000人規模の関係者がいますので、お弁当や車両の手配などもあり、担当は細分化されていますね。
眞島 私は広報室にいます。広報には現在6名が在籍していているのですが、私には主に2つ役割があります。1つ目は、メディア対応です。代表戦などの試合の開催が決まるとメディアの取材を受け付け、いかによい環境で快適に取材をしていただけるかを念頭に、取材要項、諸注意を作り、試合会場では撮影エリアやインタビュー取材の環境を整えます。2つ目は、代表カテゴリーのチーム広報です。私は女子セブンズを担当し、チームの活動情報を配信したり、時折チームにに帯同して、写真や動画を撮影しSNS等で発信することもあります。
皆さんが連携し合う会議はあるのですか。
眞島 日本代表戦では各部門から代表者が出る会議があります。
會田 大会運営が試合を運営していくマニュアルを作り、関係者全員に出席してもらって、広報室やテクニカルサービス部門から全体に周知したいことなど話してもらいます。
永井 テクニカルサービス部門は、大会運営と連携することが多いのですが、メディカル部門で専門の先生たちに試合会場でスタンバイしてもらいますので、その座席を用意してもらったり、怪我対応などで諸室も使いますので、それを割り当ててもらったりします。
眞島 広報は、メディアの動線や諸室のことで大会運営部門と交渉することがありますね。
會田 大会運営が試合を運営していくマニュアルを作り、関係者全員に出席してもらって、広報室やテクニカルサービス部門から全体に周知したいことなど話してもらいます。
永井 テクニカルサービス部門は、大会運営と連携することが多いのですが、メディカル部門で専門の先生たちに試合会場でスタンバイしてもらいますので、その座席を用意してもらったり、怪我対応などで諸室も使いますので、それを割り当ててもらったりします。
眞島 広報は、メディアの動線や諸室のことで大会運営部門と交渉することがありますね。
それぞれのラグビーとの出会い、日本協会で仕事するようになった経緯を教えていただけますか。
永井 父親がラグビー経験者だったので、小学校1年生のときに大阪の堺ラグビースクールでラグビーを始めました。中学、高校でも続けましたが、高校の時に怪我が多くて、アスレティックトレーナーになりたいと思い始めました。ラグビースクールの整形外科の先生に相談しながら、アスレティックトレーナーの知識や技能を学べるアメリカの大学に進学しました。帰国後にリコー、キヤノン、NECなどのチームでアスレティックトレーナーをしましたが、2年ほど別の仕事をしているときに、もう一度ラグビー関連の仕事がしたいと思うようになりました。今までの経験が役立つのではないかと思って日本協会に来ました。日本でのラグビーの中心のところで働きたいという気持ちがありましたね。
會田さんは、なぜ日本協会で働くようになったのですか。
會田 私は兄と妹の3人兄弟なのですが、兄が世田谷区ラグビースクールに所属していて、妹もラグビーを始めました。私は兄と同じことをするのが嫌で水泳をやっていました。海のライフセーバーになりたくて、中学までは本格的に水泳に打ち込みました。日大高校に進学したのですが、水泳部のレベルが高く、ついていけないと感じていたところ、友達に勧められてラグビー部のマネージャーをすることになったのです。大学で続ける気持ちはなかったのですが、コロナ禍で対面の授業もなく、友達もできない時期で、やはり何かしたいと思っていたら、先輩に誘っていただいて日本大学でもラグビー部のマネージャーになりました。就職ではラグビーのことは考えず、自動車関連の会社で内定をいただいたのですが、深く考えずに決めたところがあって、これで良いのかと悩みました。大学時代から日本協会でアルバイトをしていたこともあり、日大卒の上司に相談したら、面接を受けてみないかと勧められて、入ることになりました。
何度もラグビーから離れようとしたのに、結局、離れなかったのですね(笑)。
會田 いつのまにかそうなっていて(笑)。ラグビーは人と人とのつながりが強いと思います。
眞島 私はお2人のようにラグビー街道を歩いたわけではなく、競技経験もありません。親に勧められて中学からインターナショナルスクールに通い、高校、大学はアメリカの学校に行きました。卒業後は、いろいろな職業の人と繋がれるということを考えて、PR会社に入社しました。そのPR会社では、国内外のスポーツイベントのメディア対応をする部門に在籍しました。競泳、テニス、卓球などいろいろなスポーツに関わりましたが、2019年のラグビーワールドカップ(RWC)組織委員会に出向していた先輩が体調を崩されたので、2019年2月くらいから組織委員会で働くことになりました。それがラグビーとの出会いです。担当した会場は、横浜、静岡、豊田、東京という日本代表が試合したところ全部です。そして、静岡県のエコパスタジアムでアイルランド代表に勝った歴史的快挙を目撃したわけです。
眞島 私はお2人のようにラグビー街道を歩いたわけではなく、競技経験もありません。親に勧められて中学からインターナショナルスクールに通い、高校、大学はアメリカの学校に行きました。卒業後は、いろいろな職業の人と繋がれるということを考えて、PR会社に入社しました。そのPR会社では、国内外のスポーツイベントのメディア対応をする部門に在籍しました。競泳、テニス、卓球などいろいろなスポーツに関わりましたが、2019年のラグビーワールドカップ(RWC)組織委員会に出向していた先輩が体調を崩されたので、2019年2月くらいから組織委員会で働くことになりました。それがラグビーとの出会いです。担当した会場は、横浜、静岡、豊田、東京という日本代表が試合したところ全部です。そして、静岡県のエコパスタジアムでアイルランド代表に勝った歴史的快挙を目撃したわけです。
運営の人も試合を見ることはできるのですか。
眞島 主にフォトグラファー担当だったので、ピッチで撮影するフォトグラファーがルールを守って撮影しているかを見ているのも仕事です。そう言いつつ、ときどき試合を見ていました(笑)。勝った瞬間は、アドレナリンが全身を駆け巡りました。福岡堅樹選手が決勝トライをあげたすぐ近くにいました。歴史的瞬間に立ち会えて幸せでしたね。
なぜ日本協会への就職をしようと思ったのですか。
眞島 スポーツイベントで働くようになってからはどんどん現場で働くのが好きになり、今ではイベントジャンキーと言っていいくらい、この仕事が好きです。PR会社では9年働きましたが、コロナ禍で担当試合がすべてなくなり、自宅待機で半年くらい何もできなくなって、その頃からこのままで良いのかという気持ちになりました。コロナ禍が明けたとき、日本協会の知人から声をかけてもらいました。環境を変えてみたいと思っていたので転職することにしました。2023年、福岡で開催された世界水泳が終わった2日後には日本ラグビー協会で働き始めました。日本協会は再びRWC招致に手をあげましたね。「2019年に得たあの達成感をもう一回体験したい」、「RWCの仕事をしたい」と思ったのも日本協会に入った理由です。
仕事のやりがい、楽しさを感じるのはどんなときですか。
永井 ラグビーは激しいコンタクトスポーツのひとつだと思います。その中でどうすれば安全にプレーできるかという部門に関われているというのはやりがいがあります。何をするにしても、すべての業務がラグビーのためなのだと思うと苦になりません。そこが一番大きいですね。
會田 国際試合になると、試合を運営するためにたくさんのスタッフが関わります。お客様のサービス、チームへのサービス、メディア対応、メディカルチームの導線の確保などあり、警備はこうしたい、競技の運営はこうしたいなど各部門の要望もある。いくつものことが重なり合う中で、人と人がつながり、一つの試合を終えると達成感があります。加えて、日本代表が勝ち、みんなが喜んで帰って、運営のスタッフで軽く打ち上げの乾杯をする。みんなで一つのことを作り上げて、仲間でやり遂げる素晴らしさを感じることができる。かけがえのない経験だと思っています。
永井 試合が終わってからの片付けのときは、みんなテンション高いよね。
眞島 達成感を感じながらみんなで片付けをする。あの時間帯が一番好きかもしれない(笑)。
會田 国際試合になると、試合を運営するためにたくさんのスタッフが関わります。お客様のサービス、チームへのサービス、メディア対応、メディカルチームの導線の確保などあり、警備はこうしたい、競技の運営はこうしたいなど各部門の要望もある。いくつものことが重なり合う中で、人と人がつながり、一つの試合を終えると達成感があります。加えて、日本代表が勝ち、みんなが喜んで帰って、運営のスタッフで軽く打ち上げの乾杯をする。みんなで一つのことを作り上げて、仲間でやり遂げる素晴らしさを感じることができる。かけがえのない経験だと思っています。
永井 試合が終わってからの片付けのときは、みんなテンション高いよね。
眞島 達成感を感じながらみんなで片付けをする。あの時間帯が一番好きかもしれない(笑)。
片付けにはどれくらいの時間がかかりますか。
會田 午後2時からの試合だと、その日中に帰ろうという目標でやりますね。
永井 ある程度はみんなで協力して片付け、最後は大会運営部門が担当になります。
會田 最後に会場の方警備の方が忘れ物を見つけてきて、そんな連絡が入ったりもしますね。
眞島 メディアは試合が終わってから2時間近く記事を書きます。メディアの方が帰ってから、メディアルームの片付けが始まります。
會田 重いものを運ぶときは、「筋肉を貸してください!」と連絡して来てもらいます。
永井 みんな手伝いますよね。日本協会の一体感を感じるときです。
永井 ある程度はみんなで協力して片付け、最後は大会運営部門が担当になります。
會田 最後に会場の方警備の方が忘れ物を見つけてきて、そんな連絡が入ったりもしますね。
眞島 メディアは試合が終わってから2時間近く記事を書きます。メディアの方が帰ってから、メディアルームの片付けが始まります。
會田 重いものを運ぶときは、「筋肉を貸してください!」と連絡して来てもらいます。
永井 みんな手伝いますよね。日本協会の一体感を感じるときです。
會田さんが最初に担当した大きな試合は何ですか。
會田 入社して最初に担当した国際試合は、2024年の日本代表対イングランド代表戦でした(6月22日)。日本大学のマネージャー時代には国立競技場は経験できなかったですし、そのピッチに自分がいることに興奮しました。ただ、試合中は運営室にいて、モニターで観客席を見て問題が起こっていないかチェックしたり、観客数の集計をしたり、いろいろやることがあるので、試合を楽しむ余裕はなかったです。
広報担当の楽しみ、やりがいについても聞かせてください。
眞島 メディアの方々に記事を書いてもらったり、テレビを通じて試合映像を流してもらって、ラグビーを広めることができていると感じられるのは、広報としてのやりがいです。メディア対応の際には、の選手の横で取材の内容を聞くこともあります。記事で使われているのはごく一部分のコメントですが、実際はもっと長く話しているので、選手の人となりや、その場の雰囲気を感じられるのが楽しいですね。また、試合の度にそれまで行ったことがない地方や海外を訪れる機会が多いのも楽しみの一つです。
今後の目標を聞かせてください。
永井 テクニカルサービスという専門的なところにいますが、目の前だけを見ずに、全体を見ながら、日本協会の中で自分に何ができるかを考えていきたいです。RWCが再び日本で開催されるかもしれないので、そこには関わりたいと思っています。
會田 私はお2人のようなバックグラウンドがなく、ずっとラグビーに関わってきて、元気だけが取り柄で頑張っていますので、社会人としての勉強をして、ステップアップしていきたいです。会場運営として、日本にRWCが再び来た時には自分がベニュー(会場)を回せるように成長したいです。海外のチームとコミュニケーションを取ることも多いので、英語は大事になってきます。英語の勉強を始めました。
會田 私はお2人のようなバックグラウンドがなく、ずっとラグビーに関わってきて、元気だけが取り柄で頑張っていますので、社会人としての勉強をして、ステップアップしていきたいです。会場運営として、日本にRWCが再び来た時には自分がベニュー(会場)を回せるように成長したいです。海外のチームとコミュニケーションを取ることも多いので、英語は大事になってきます。英語の勉強を始めました。
眞島さんもRWCに関わりたいとおっしゃっていましたね。
眞島 将来RWCが日本で開催される際に備えて、他のスポーツ競技団体や、海外のメディアオペレーションを参考にしながら、日本でそつなく運営できるように準備するのが自分の役割だと考えています。また、チーム広報としてはどのようにすれば女子のセブンズ日本代表をメディアに取り上げていただけるか、それを考えるのがチーム広報の役割だと思うので、今後も足りない頭をひねって考えていきたいです。
最後に子どもたちへのアドバイスをお願いします。
永井 いろいろなことに興味を持ち、とにかく興味があるものを試してみる。ダメだったら次に行く。たくさん当たってみて、自分の好きなものってこんな感じなのかなって見えてきたら、将来、なりたいものも見つけやすくなると思いますよ。
會田 何事にもチャンレンジできるのは、子どもの頃しかできないことです。大人になると、いろいろな制約があります。やりたいことをやって今を楽しんでもらいたいです。
眞島 私は子どもの頃、引っ込み思案でチャレンジ精神がありませんでした。自分なんかにできるわけがない、あの子の方が上手くできるだろうという思い込みがあり、そういう控えめな考えを自分では美徳だと感じていました。挑戦しないと何も得るものがないことに、大人になってから気が付きました。あの子の方が上手くできるだろうけど、自分もやってみようというふうに思うことが大事です。失敗から学ぶことも多いので、99%無理と思っていても、1%でも挑戦する気持ちがあったらやってほしいと思います。
會田 何事にもチャンレンジできるのは、子どもの頃しかできないことです。大人になると、いろいろな制約があります。やりたいことをやって今を楽しんでもらいたいです。
眞島 私は子どもの頃、引っ込み思案でチャレンジ精神がありませんでした。自分なんかにできるわけがない、あの子の方が上手くできるだろうという思い込みがあり、そういう控えめな考えを自分では美徳だと感じていました。挑戦しないと何も得るものがないことに、大人になってから気が付きました。あの子の方が上手くできるだろうけど、自分もやってみようというふうに思うことが大事です。失敗から学ぶことも多いので、99%無理と思っていても、1%でも挑戦する気持ちがあったらやってほしいと思います。